メダルの秘密は歯にあった!? 歯科医学とスポーツの関係性とは

2016.08.12 Fri

wellib7

リオオリンピックが開幕、日々、日本勢の活躍に興奮と感動をもらっているが、みなさんはどのような視点でオリンピックを見ているだろうか。今回 wellib では、スポーツと医療のニッチな関係性を探るべく、日本におけるスポーツ歯科の第一人者・安井利一氏にお話を伺った。過去の報道では、歯科矯正で優勝したマラソン選手、噛み締めないように舌を出してピッチングをする野球選手が居たりと、歯科医学とスポーツの興味深い関係性が伺えそうだが、多くのメダルを獲得している日本勢の秘密は、歯科医学領域に潜んでいるのであろうか?

– スポーツ歯科医学について教えてください。

スポーツ歯科医学とは、その名の通り、歯科医学領域からスポーツを支援する科学と技術のことです。「スポーツによる健康・安全づくりの支援」、「顎・顔面・口腔でのスポーツ外傷の予防」、「スポーツ競技力の維持・向上のサポート」と、3つの領域からアプローチをしています。

_DSC3960

– アスリートだけを対象としている訳ではないのですね。歯科と運動能力は、どのように関係しているのでしょうか?

歯と運動能力の関係は、アスリートだけでなく、子どもから高齢者まで、どんな世代でも影響があることがわかっています。

高齢者では、80歳で歯が20本以上ある人と歯が全くない人を比較すると、前者は、ひとりで自由に外出できる人の割合が約80%、近所なら可能な人を含むと100%だったのに対し、後者は約40%まで減少します。健康に歯を保てない人は行動が抑制されるんですね。

さらに、単純に歯の有無との関連性だけではなく、歯を噛み合わせた際に加わる力=「咬合力」が低い人は、寝ている状態から起き上がる動作、歩行動作など、すべての作業時間が長くなるという結果がでています。このように、「咬合力」と運動能力に関連性があることから、高齢者の健康寿命を延伸するには、歯を健康に保つことが重要と言えます。

– 健康な歯があってこそ、運動機能は保たれるのですね。日常生活レベルとは違い、より高い運動能力が試されるスポーツでも、噛み合わせは重要になってくるのでしょうか?アスリートの歯並びはみなさん同じように綺麗な気がします。

もちろん関連しているでしょう。例えば、奥歯でしっかり噛むことができる人の方が懸垂をたくさんできたり、早く走れる人の方が前歯も奥歯も噛み合わせの接触状態が良かったりと、噛み合わせの状態はスポーツのパフォーマンスに影響していることがわかっています。

ただし、すべてのスポーツが同じような噛み合わせを有している訳ではありません。例えば、ボールを投げる遠投の結果を見ると、噛み合わせが競技結果に関係しないことがわかっています。噛み合わせが良ければ、どんなスポーツでも良い結果が得られる、という単純なことでもないんです。

_DSC3990

– 面白い結果ですね。ですが、そもそも噛み合わせの状態によって運動能力に差が生じるのなぜでしょうか。

ひとつは「重心動揺」の差です。人間は静止して立っている時でも、わずかに揺れています。そのことを「重心動揺」と言い、頭の中心の軌跡をとった長さで示すことができます。噛み合わせた時の接触面積が広い人と狭い人とを比べてみた時に、狭い面積の人の方が「重心動揺」があり、アーチェリーや射撃など体の揺れで影響がでるような運動に代表されるように、運動能力は「重心動揺」によって差が出てくるのです。

先ほどの、高齢者の歯の保有数と行動抑制の関係のように、歯がなければ噛み合わせられず、噛み合わせがなければ頭は動く。頭が動くと身体の軸は動き、運動能力に差が生じてしまいます。

– アスリートの競技種目によっても異なるのでしょうか?

異なります。同じスケートでも、フィギュアスケートのように飛んだり跳ねたりするバランスが必要な種目と、スピードスケートのようにとにかく速さが重要な種目とを比べると、フィギュアスケートの方がスピードスケートの選手よりも、噛み合わせの接触面積が2倍、力は1.5倍と、フィギュアスケートの選手の方が噛み合わせの状態が良いんです。他の種目を見ても、球技系や速さを競う競技よりも、力やバランスが必要となる競技の方が咬合力が高いことがわかっています。

これらの研究より、咬合関係の喪失あるいはバランスの変調は、スポーツ選手の静的姿勢保持における身体動揺の増加につながる可能性が推察されます。ただし、選手各々は固有の個体バランスを有していると考えられます。したがって、体操競技の一部の動作、フィギュアスケートの一部動作、射撃関係、アーチェリーなどの競技種目においては咬合関係の維持が重要となると推察されますので、常にチェックしてバランスが崩れないようにしています。

_DSC3948

– しっかり奥歯で噛むとパワーが出るエビデンスは何でしょうか?

実は、ぎゅっと噛むことで口の周りの筋肉だけでなく、他の筋肉も緊張するためです。これが、噛み合わせの状態によって運動能力に差が出る、ふたつめの理由です。

生理学的に証明すると、咬筋という咬む筋肉を使うと、ふくらはぎのヒラメ筋も緊張することがわかっていて、これを「遠隔促通」と言います。要するに、ぎゅっと噛むことで全身の他の筋肉も緊張するために、パワーが出るのです。逆に言えば、速い動きが必要なスポーツの場合は、食いしばっていると損。あらゆる筋肉が緊張することで、関節が固定される方向になりますので。

– なるほど。歯並びを良くし、歯の健康を保つことで、スポーツの結果が良くなるということですね。

スポーツ競技力は、心・技・体のバランスの上に成り立つものですので歯科領域の管理の一口で決定できません。しかし、咬合の変化によって、筋力や身体動揺は変化し、咬合によって競技力が向上することはわかっているので、歯・口腔の健康を確保することはスポーツを行う上での基本となることは確かです。

– リオオリンピックや、4年後の東京オリンピックに向けて、具体的にはどのような取り組みを行っているのでしょうか?

残念ながら、お教えすることはできません。(笑)どの選手でも競技特性があり、また選手によって噛む癖がある人など個人の特性もありますので、それぞれに向けた取り組みを行っています。また、未来を見据えて、トラブルや悩みのあるジュニア選手へのアプローチにも力を入れています。

– スポーツ競技にて起こりやすい外傷について、どのような取り組みを行っているのでしょうか?

スポーツ外傷では、圧倒的に歯の欠損などの歯牙障害が多く、学童期のスポーツ外傷の全障害のうち、実に24%もの子供達が、野球やバスケットなどの競技で、前歯3本以上の欠損をしています。私たちは、スポーツ外傷を予防するためのサポートとして、マウスガードの使用を推奨しています。

外傷で歯を失った選手は、スポーツに対して恐れの感情をもってしまいます。前歯をなくしたシーンと同じ状況になった時、瞬間的に引いてしまい、一流選手になればなるほど、そういった一瞬の隙が勝敗を決めますので、外傷をサイエンスで予防してあげることも大事なのです。

_DSC4006

– もし歯が抜けたり折れたりしてしまったら、どうしたら良いのでしょうか?

あまり知られていませんが、すぐに戻せばまた再生しますので、歯を持って歯科医院に行くか、抜けずに歯が揺れている場合はそのまま歯茎に押し込んでください。その時の注意点としては、もともと歯茎に入っていた歯根部と呼ばれる部分は絶対に触らない事、水道水で歯を洗わないこと、歯の保存液がなければ牛乳に入れて保存することです。

– 牛乳ですか!!

歯の再植 可能な時間は、放っておくと、つまり乾燥状態ですと30分。抜けた歯を探しているうちに時間は経ってしまいます。再植には必要な歯根膜の細胞をいかに長持ちさせるかが重要です。保存は、精製水で30分、生理食塩水や唾液は1時間、牛乳は24時間、歯牙保存液は48時間持ちます。外出先では保存液がないので、そういった場合には牛乳を買ってきてもらっていれておくと良いです。牛乳はタンパク質を含むため、長い保存ができるんですね。

– 最後に、私たち一般人が気をつけていきたいことを教えてください。

まずは、よく噛んでゆっくり食べ、栄養素バランスを保った食事を摂ることが基本です。そして、歯を失わないこと。歯のクリーニングを行っている人はたくさんいますが、歯周病や、噛み合わせのチェックも気にしてみると良いかもしれませんね。一般の人がスポーツ歯科の認定医に見てもらいたい場合には、日本スポーツ歯科医学会のウェブサイトに、日本体育協会認定スポーツデンティストは日本体育協会のウェブサイトに掲載されていますので、チェックしてみてください。

(text 清野 琴絵)


安井利一 (やすいとしかず)
歯科医師。日本におけるスポーツ歯科医学の第一人者。

明海大学学長、日本スポーツ歯科医学会理事長(学会認定医)、日本臨床スポーツ医学会理事、国立スポーツ科学センター非常勤医師、日本歯科医師会スポーツ歯科委員会委員、日本体育協会公認スポーツデンティスト。